威嚇(いかく)は、実際の攻撃ではなく、それに似た姿や様子を見せることで対象を脅かすことである。往々にして自らの身を守るために自らの力を誇示する行為である。しかし、攻撃の糸口として威嚇が使われる場合もある。
(参照:「Wikipedia」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%81%E5%9A%87)
威嚇とは、動物間で起こる行動であり、本能的なものであると思っていましたが、
人間も威嚇行動を日常の中で認識せずにとることが多いと気が付きました。
電車の中で距離が近い男性を睨む、
混み合う駅構内でわざと歩行者にぶつかる、
すれ違いざまに同年代と思われる相手の風貌を確認する、
あえて冷たい態度をとったり、イラつきを動作で示す。
これらは人間の威嚇行動ではないでしょうか。
基本的に、威嚇は防衛本能から生じます。
人間が動物である以上そのような本能的な現状が生じることはしょうがないことです。
自分の身や心に危険が生じている場合に、威嚇行動はとりやすい選択肢だからです。
ですが、本当にその状況は危険といえるのでしょうか。
危険と感じる根本の原因を見ると、
過去の恐怖を感じた経験にとらわれている、
自分のしたいことができずストレスが溜まっている、
理想の自分と現状の自分にギャップがあり劣等感を感じる、
経済的に将来に不安があったり、相手の不出来の責任を負いたくなく無視している。
それらはすべて自分の内から来る感情によるものです。
たとえ、相手から暴言や卑屈を言われたとしても、自分の心が満たされていれば、
逆に相手の心の穴を見透かすことさえできるのです。
威嚇をする人は、自分の心のあきらめを目の前の人物に表現し見せつけ、
その人の態度を見て自分の現状を顧みようとしているのです。
自分の威嚇行動を認識し、そのたびに心の穴に気付くことで、
相手の威嚇の理由も予想し、助言することができます。
そうすれば、自分と相手心の繋がりが形成され、あなたにとってより生きやすい世界となるでしょう。


